籐塾の受験観

籐塾の受験観

さて、これからこのような塾をつくることになった経緯を説明します。

 

1 自己の受験履歴-1-

小6の終わりに母から、男ならプロ野球選手になるか東大に入れ、と無理難題をいわれたのを真にうけ勉強し始めたのであった。まさにお調子者で ある。小学校の間は遊んでばかりで運動神経が人一倍発達した腕白な子であった。母は教育熱心な方だったが、学校から帰ると30分は机に向かわされ勉強させられただけで、それが済めば遊びに行かせてもらえた。今はやりの英才教育とはまったく無縁であった。ただ、そろばん塾と読書だけは母から強制的にさせられてはいた。

それでも、小6の3学期に猛勉強して、選抜制の地元のエリート進学塾に奇跡的に入った私は、なぜかとりつかれるように勉強した。塾の先生は 地元ではトップの公立高校の先生が教えにきていらっしゃった。その当時はそれが許されていた時代だったが、今思うと贅沢な塾であった。大学受験を熟知された方がそれを見越して教えていただけるのだった。たしかに、今考えると特殊な教育だった。たとえば、国文法を中1から徹底的に鍛えられたり、分厚い英単語集を覚えさせられたり、などなど。その塾でも、最下位に近いところから、がり勉で中3ではトップ20には入れたのだった。(20人ともラサール高校合格)

そして、運よくラサール高校に入る。私は勉強量だけは負けまいと思い、中学時代を思い出し必死に頑張った勉強量だけではトップクラスだった。しかし、伸びない。300弱番中80番をうろついていた。最高でも30番、それも瞬間的であった。その頃はラサール最盛期(灘、開成に並びたつ時代)で180番が東大のボーダーライン(合格率50%)だったので成績は出ている方だったが、部活もせず、友達とも遊ばす、猛勉したわりにはそんなに伸びない。

学校の予習復習を中心に頑張って定期はいいのだが、模試や実力テストでは振るわなかった。自分でも実力がついた実感もなかった。

今考えると、原因ははっきりしていた。授業中必死にとったノートを夜復習するときは、理解してたはずがよくわからず、テキストには詳しい解説もなく、しょうがなく丸暗記していた。また、多量の参考書や問題集を買い集め、中途半端に放棄していた。などなど。

2 自己の受験履歴ー2-

まして、本番では、悪友どものどんちゃん騒ぎに巻き込まれ一睡もできず頭が冴えないまま受験し、東大理Ⅰに見事に散る。(その頃大部分のラサール生は集団で本郷の旅館に分かれて泊まって受験を受けていた。)

学校や友人から何故お前の席次で落ちるのだと不思議がられたが、私にはわかっていた。

たとえ、最良のコンデションでも落ちていただろうと。本番でひらめかないのだ。特に数学が。そして、浪人。

 

3 自己の受験履歴-3-

地元の予備校に特待生で入ったのはよかったが、入試問題の解説授業が中心で、高校3年の授業とあまり変わらず、正直あせりを感じたのだ。

そこで、初めて他人の合格体験記を読み漁り、さらには高校時代のできる連中のやっていた参考書問題集を思い出し、自分で勉強計画を作り、宅浪気分で自分のペースで勉強した。予備校は午前の強制授業だけで、それも内職ばかりで、自勉100%であった。高校時代あれだけ学校の授業に100%依存型の自分から真逆の作戦であった。

実際は勉強時間の半分弱は過去の入試問題を正規時間で解き、特に数学ではできなかった問題は答えを見ず数日間は解きなおすといった簡単な戦術であった。しかし、自分のストイックな気質と上のレベルを目指すという闘争心がマッチし、自分には合っていたと思う。

その結果、ものすごく伸びたと思う。模試でも手が勝手に動くような感じで迷いがなくなり好成績を収められた。現役のときはしにも棒にもかからなかった防衛医科大筆記試験(一次)にも合格し、センターも前年度85%以下から93%、合格した京大理学部入試でもたぶん、物理満点、数学八割はとれたと思う。

嬉しかったのは数学でひらめきまくったことであった。昔は入試のレベルが高かったので、あのどん底の高3時代、定期は良いが模試になるとさっぱり点が取れなく実力がついた気がしない時代、を思うとよく頑張ったと思う。

 

4 籐塾設立

あとでわかったのですが、このやり方は受験をわりと効率よく通過した大学の友人に共通のもので、あまり独特のものでなかったのです。しかし、後に受験業界に入り、この当たり前のことを生徒の状況に合わせ調整して実践させると合格確率の高くなることが、レベルの下から上まで数多くの生徒指導からよくわかりました。

また、予備校や家庭教師派遣など、いろんな場所で教えて感じたのは、実際に入試問題を解きこなしていないのに、生徒を高圧的に指導していく チューターや先生が多いことでした。彼らにひっかきまわされて駄目になっていく生徒が多いことにも驚きました。それでもついて行くのは集団心理なのか、物事の真髄を見る力がないのだろうか?まるで、高校時代の自分を見るようであった。

そこで、一念発起しました。まず、できるかぎり入試問題を解く、それも多数教科を完璧にこなす。教科書的基礎説明から東大レベルの入試問題解説まで指導できるプレゼンテーション能力も同時に磨く。そして、受験指導術を上へ上と、かつ幅広く向上させる。多数教科教えられてこそ、大学受験指導を深く広く戦術的に進められるのだ。今でも、まだまだ足りないところがあり勉強中ですが、だいぶ多くのことが見えてきたし、出来るようになりました。

その要因は、①大学で理論物理化学を修める上で学問のすさまじい勉強を経験したおかげでこの作業が楽だったこと、②予備校や他塾そして籐塾を含めていろんな場所でさまざまな生徒に多様な教科の受験指導できる機会に恵まれ指導実践力を磨けたこと、があります。

また、それに加えてある確信があったからです。大学受験に大学での専門も受験指導の専門もいらない。数少ない難問奇問だけに大学教養課程程度の知識が必要になるだけである。たとえば、大学で数学を専攻したといっても、受験数学を究められるわけでない。他の教科も同じである。

大学受験とは、本人の資質(論理力、読解力、洞察力、抽象思考力、暗記力などな ど)を短時間で判断するシステムで、長期間でじっくり取り組む大学の専門とはまったく違う世界なのだ。

だから、日本最難関の東大理科Ⅲ類に合格する連中は、爆発的に自分の資質を発揮できる鍛錬法と要領を会得しているので、全教科偏差値70を超えられるわけだ。<< 自分もその領域に近づこう!>>と現在も格闘中なのです。

 

5    籐塾のすすめ

以上、長々と書きましたが、本当に皆さんに理解して頂きたいのは、受験はやり方次第で、同じ勉強量で天国にも逆にもいけることです。

 そして、 大学受験はなるべく、達人に直接、オーラを感じながら、勉強法や教科の要点を指導してもらうのが一番効率的なのです。そうしないと、いつまでも、専門とか 進学校とか予備校とかのブランドに振り回され、無駄な努力と時間とお金を浪費してしまいます。

 全国的に有名でない普通の高校からでも東大理科Ⅲ類に合格する連中は少なからずいますよ。きっと、自然と正しい勉強をしているのだと思います。その、謎を知りたいと思いませんか?

 籐塾はまだまだ勉強不足ですが、今後も努力向上し、以上申し上げた意味での達人の領域を目指し精進します。そういった意味でレアで貴重な塾の一つだと誇りをもって、主張させていただくのであります。

そして、本音を言わせていただくと、高校時代の成績が伸び悩んでいたがり勉ゴトウ君に、もし私がタイムスリップして、彼に勉強法やアドバイスを伝授できれば、絶対東大理Ⅲへ行ける道標を示せる。勇気づけれる。そんな存在になりたい。これが、この塾をやるコンセプトかつ願いなのです。

 

 

 

 

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